2011年11月28日

泳ぐ鳥的教育論。頭が悪い奴ほど学校に行って勉強しろ!!

最近、ゆとり教育の見直しが進んでいる。
とても良い傾向ではあるが俺から言わせるとまだまだ甘いと言わざるを得ない。
正直言うと昔(昭和時代)の学歴社会、詰め込み教育時代に遡るくらいが丁度いいと思っている。
自分は高校までこの時代に教育を受けた人間だ。(とはいえこの直後から“ゆとり”が始まるわけだが)
当時は大学を出ないといい会社に、いい給料を貰えないという価値観であったのでキツイとは思っても勉強していた時代だ。
・・・俺はそこまで考えてなかったな、正直言うと「まだ働くのは嫌だな。」と思っていたから勉強していた、といったところだ。
さて、今考えてみると当時の詰め込み教育がそんなに厳しかったのかと思うと、実はそんな厳しいものでもなかったように思える。


確かに「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ってのもあるかもしれないが同期や同級生、かみさんなどに聞いてみると「そんなに苦でもなかった。」という返事が多く、むしろ「もっと勉強したかった」というくらいだ。
さて、ある詩人(だったと思う。名前を忘れた。)がこんなことを言っている。
「学校とは無能が無知に無用を教えるところ。“習う”のであれば何も得ないが“学ぶ”のであれば足しになる。」
無能とは教師。(日本の場合、確かに日教組支配なので無能ぞろいは当然と言えば当然である。)
無知とは生徒。
無用とは教育等である。
正直言って学校の勉強なんて実社会、とりわけ会社に入れば意味がない。
たとえば数学であれば、たし・引き・掛け・割り算くらい覚えておけば事足りる。
設計で確かに強度計算など難しい公式は使うが学校で習ったものがそっくりそのまま使えた試しがない、むしろ毎日が学校の延長線の勉強の日々といっていいだろう。(まあ、基本的なものがあることはあるが)
それでも学校の勉強は大事であり、家庭の事情等はあるだろうが大学くらいは出てもいいと思う。
その理由は格差社会を無くすためである。
「ん?詰め込み教育・学歴社会がそんなにいいのか!」という人もいるだろう。
そのとおり!
・・・まあ、100点満点というわけにはいかないがこれからそれを説明しよう。
俺は子供のいる友人や親戚にあったとき、進路の話が出ると“学歴はRPGでいう防具や武器だよ”
という。
RPGの場合、目的はラスボスを倒すもしくは数々のクエストをクリアすること、当然レベルを上げて武器や防具を強いものにしていくわけだよね。
ラスボス倒すのにレベル1で木の棒では倒すどころかラスボスにも会えないわけだ。
人生もそうでラスボスはいないがいろいろなジョブ等をこなしていくわけだが、当然それには経験等が必要になってくる。
経験は当然仕事をこなしていけばそれなりについてくるが、では武器や防具はどうする?
それが学力や勉強したかどうかってことになる。
小学校なら銅の鎧、中学なら鉄の鎧、高校なら鋼の鎧、大学なら竜の鎧、大学院なら伝説の鎧と言ったところか。
まあ、確かに従来の雇用制度が崩壊した中でこれだけでってわけにはいかない。
当然社会体制も終身雇用の復活が必要であるが今回はあくまで教育論のみで話す。
最終学歴にもよるが日本が世界的に見て比較的格差が少ない理由の一つは一定レベルの教育、つまり国民の教育レベルの平均的な底上げ化に他ならない。(無知の小量化と言っても良いだろうか)
平均化、つまりグローバル化である。
・・・あれ?
そう考えるとかつての日本の教育は時代を先取りした方式だとも言えるかな?w
さて、人間最初は誰でも無知である。(ここで言う無知とは勉学の意味でのこと。)
でも、勉強しないと無知なままなのも事実。
無知は結局のところ貧困の温床でしかない。
無知なる者は就職できたとしても、いつまでも使い物にはならないし、そんな奴は会社なんかになじめないから結果的にやめていく。
で、職を転々としてもいつまでたっても安定しない、行き着くところはホームレスか犯罪に手を染めるか利用されるか。
でもな、その犯罪をするにしても今の時代、それなりの知識・学力がなければできないわけで、無知なやつは結局鉄砲玉の足しにすらならない、紙切れ同然の使い捨て。
ところがだ、これが大卒で就職ってなると話が変わってくる。
例えば、新入社員で配属されたとしても社内の役職そのものは平社員でも中堅クラス、中・高卒とは1〜2ランク上の扱い、もちろん初任給から差が出てくる。
で、出身校が東大であろうが3流私大であろうが入社時には全く同じスタートライン、つまり学生時代は東大生に引け目を感じても会社に入ればただの同僚。
あとは自分の努力次第で、東大卒を出し抜いて出世しようと思えばいくらでもできる。
もちろん、出世が一番大事というわけでもないし、就職した企業の条件によって違ってくることはあるだろうが、少なくとも企業側が採用する・しない、はあるにしても勉強し、高学歴であれば職業選択の幅は確実に広がるわけだ。
これは社会においても有益なことだ。
平均点が上がるということは、当然全体の点数が上がること。
つまり、知識性においても社会性においてもより安定した生活行動が維持できるというものだ。
日本という国家が世界的に見て“治安が良い”と言われる所以はまさに基本的教育による無知の小数化と貧困の最小化がなされているからに他ならない。
ただこれを良しとしない者がある。
それがゆとり教育であり日教組をはじめとした現教育現場に携わる者たちだ。
ゆとり教育の推進は平均点を下げることにより学生のレベルの低下を行い、無知を増産、
結果的に貧困を増大させ治安の低下をもたらすことに他ならない。
ゆとり教育を推し進めたのは旧自民党政権ではあるが、圧力をかけまくったのはどこの団体だろうか。
もちろん、ゆとり教育時代でも“それ”に疑問を持ち、自身・子供にしっかりと勉学に励んだまたは教育していた人たちも多数いる。
今の教育者が腐りきっているのはニュースで見てもお分りだろう。
これを言い出すときりがないのでここまでにするが、教育・勉学がいかに大事であるかを考えてほしい。
何も勉強してトップクラスの成績をとれと言ってるんじゃない。
成績なんざ2の次、勉学に励み、学歴を積め!と言うことだ。
posted by 泳ぐ鳥 at 12:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 鳥の言いたい放題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
で、その結果出来た人間が、

「ペットを虐待と言うなら、動物園も虐待だ」とか言ったアホなお前か。

ペットはあくまで自身の心を満たす為だけのもの。研究や繁殖の為でもある動物園と一緒にするなよ。
Posted by とおりすがり at 2017年08月05日 09:38
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